ロシア構成主義-2

udf2004-09-20

1924年には、A・A・ヴェスニンとV・A・ヴェスニンの兄弟による<レニングラードプラウダ>紙社屋のデザインができる。建築敷地はわずか6x6メートルにすぎないが、この建築は、ガラスと鉄とコンクリートを渇望する時代の特徴を良く示す作品となっている。大都会の大通りによく見られる、建築の付属物、たとえば各種のサイン、広告、時計、ラウドスピーカー、さらには内部のエレベーターさえも、デザインの構成要素としてとりあげられ、統一ある全体ができあがるように配置されている。これが構成主義の美学なのである。

L・リシツキー著「革命と建築」(阿部公正訳・彰国社発行1983年)

エル・リシツキー革命と建築

エル・リシツキー革命と建築


いきなり引用であるが、今ならばさしずめ「狭小敷地に建つスモールオフィス」と言った感じである。正方形に近い長方形に風除室とガラスのエレベータシャフトが付加されている。
エレベータロビーと階段室が兼用されるような形で、コンパクトに作られている。敷地いっぱいに建っているとしても、間口4.6m、奥行き5.0m程度の床面積なので、23㎡程度?。レイアウトを見るともう少し大きそうだが、現代の東京に建てても実に楽しそうな計画になっている。
ロシア構成主義の建築・デザインが日本で再評価され始めたのは、1970年代前半、磯崎新氏の力によるところが大きいのではないだろうか。「建築の修辞」などにその辺りの経緯は書かれている。北九州美術館は建設当時も盛んに語られていたが、リシツキーの「雲うつ轍(雲の支柱etc)」の引用であることは、設計者自身が明言している。
当時ロシア構成主義に関する日本語のテキストはほとんど無かったのではないだろうか。八束はじめ氏が原書を読んで所長に情報を提供していたのかも知れない(?)。1973年、卒業論文に「近代建築再考:バウハウスとロシア構成主義」を考えていたので、神田で随分資料を探したが、ほとんど見つけることは出来なかった。卒論は結局「前史」で終わってしまって、近代建築までたどり着かなかったので、今もって何とか続きを書きたいと思っているのだが・・・。
最近、ロシア構成主義に対する注目度は落ちているようだが、「形」としても「社会観」としても一度は、ハマッテも良い、存在なのではないかと思うが・・・。
http://nldk.hp.infoseek.co.jp/ind_years.html
革命前はヴェスニン兄弟の作品はかなり様式的な感じが強いが、随分と作風が変わっている。
構成主義の建築は、ガラス・鉄・コンクリートで作られるので(特にガラスと鉄が主力だった。コルビジェのツェントロソユーズ(旧消費者協同組合中央同盟)もカーテンウォールのダブルスキンが、コストの関係でシングルになり寒冷地としては厳しい状況であったようだ)、ロシアという風土に適さないこと、建設技術がデザインに追いついていないことなど、理想と現実の乖離に苦しむこととなっているようだが ・・・。そこに「社会主義リアリズム」のデザインにつけ入られる弱さがあったのだろうが、それによって「ロシア構成主義」の存在が揺らぐものではないと思っている。
[ロシア構成主義1⇒http://d.hatena.ne.jp/udf/20040919]