武家屋敷門

udf2005-01-01

謹賀新年
新しい年を迎え、近所の社寺に初詣。世田谷観音寺→駒繋神社→西澄寺。
西澄寺には、旧阿波徳島藩主蜂須賀家中屋敷門が移築されていて、なかなか見ごたえがある。http://blog.goo.ne.jp/zipangu_travel/e/5f0cfdb2fd41d46d8ca58d27f9deddba
東京には移築された武家屋敷の門がかなりあるようで、最初にお参りに行った世田谷観音寺(http://www.setagayakannon.com/) にも小田原代官屋敷の門がある。
東京近郊にある武家屋敷の門については、「江戸の武家屋敷門を巡る*1」と言うサイトが詳しいようだ。(http://www.asahi-net.or.jp/~CN3H-KKC/shiro/shiro15.htm
武家屋敷の門はその主の顔でもあるので、厳格な格式があるようだ。国持大名の門、10万石以上の大名、5万石以上の大名の門、5万石未満の大名といろいろあるようだが、番所の付き方、屋根の形式が分れ道か?
図入りの解説はなぜか、「日光江戸村」のサイトにあった。(門の格式 http://www.jidaimura.co.jp/web2003/workbook/wb-bu1.html
学術的なことは不明。ちょっと勉強すると面白そうだが、一般武士・代官屋敷・豪農等々ハマッテしまいそうな感じがするのでやめておこう。
ついでながら、大名の格付けと言うのもかなり複雑で面白い。時代劇を見るには知っておくと便利な知識。何のサイトか分からないが、かなり詳しく調べてある。(http://www.hi-net.zaq.ne.jp/osaru/edo/daimyou.htm
西澄寺にある旧蜂須賀家の門は「都指定有形文化財(建造物)」になっていて、写真付解説ポストカードが置いてある。お賽銭を少し多めにしてポストカードをいただいてきたので、少し長いが解説を引用しておく。

大正末期、現在の港区芝5丁目にあった阿波徳島藩主蜂須賀家の中屋敷門を、西澄時に移築し、山門として転用されている門です。
切妻造の門の桁行は6間で、中央に2間の両開きの門扉があり、その左右脇に1間の片開きの潜戸を設け、門の内側方向に2間の袖壁が取り付けられています。
門扉の両側には、1間突出した切妻造の桁行2間、梁間3間の出番所が配され、6畳の番所内の門内に面した側に式台が構えられています。
この門は江戸時代末期に建築されたと推定されており、いわゆる両番所附石垣出屋根庇造と呼ばれる構造の門です。大名屋敷の表門については、幕府は貞亨年間(1684〜88)に、大名の家禄高を基準に家格を加味して、その形式、構造を定めています。
この門は、蜂須賀家の中屋敷門ですが、25万石の大々名の家禄に応じた門として建築されたものと考えられます。東京に残る数少ない武家屋敷門の一つとして、貴重なものです。

実際には、この門の前面の空間が狭く、全容を見るには少し残念な配置となっているが、この寺の住職さんはかなり建築や庭にこだわる人のようで、いつも境内を大変綺麗に維持管理されている。
トップの写真は、境内にある井戸の上屋の天井だが、葦かなにかで大変華麗に出来ている。最近のものらしいがこれも一見の価値があるように思うが、ほかにもいろいろ見所があって楽しい空間だ。参道の両側は墓地なのだが・・・。

*1:何故か、三渓園聴秋閣なども載っている