無印良品の広告:大徳寺孤篷庵直入軒

udf2005-01-19

何故「無印良品」の広告に孤篷庵直入軒を選んだのか聞いてみたい気がするが・・・。遠州といえば孤篷庵忘筌が相場であるし、何故直入軒*1なのだろうか・・・。まあそれは良いとして、まだ「無印」の直入軒の広告を見ていないのでなんとも言えないが、多分内部の写真は付書院の花頭窓を背景に白磁の茶碗が置いてあるのだろう(?)。
外部は何か?遠州・孤篷庵といえば表門の前にある石橋か、アプローチの延段、方丈の前の南庭、勿論「舟入の縁」は本命中の本命だが、「布泉の手水鉢」の可能性も大。
トップの写真は、はるか昔(1966年?)石井和紘氏が若かりし頃、「建築文化」に寄稿した「潜在的構造がひらく媒体の領域:複合体(コンプレックス)としての大徳寺孤篷庵」からの写真(撮影:岡本茂男氏)。左側が忘筌の舟入の縁、右側のふすまの奥にかすかに付書院(ほとんど分からないが)の花頭窓がチラッと見えるところが「直入軒」。そのさらに右の方に(この写真では見えていない)「山雲床」がある。
芸術新潮」1996年2月号から解説の一部を引用しておく。

孤篷庵は、遠州が亡くなってから約150年後の寛政5年(1793)に、火災で焼失している。現在の孤篷庵は、寛政9年から12年にかけて再建されたもので、数寄大名・松平不昧の指導と援助があった。露地の飛び石や手水鉢、燈篭が焼け残った忘筌の間は、遠州当時の姿に忠実に復元されたが、書院の直入軒は、間取りや床構えがやや変更されている*2遠州の茶事は、茶室で濃茶を点たてた後、より広い書院に移って薄茶をふるまうなど、茶室に書院を連結させているのが特徴である。直入軒も次の間を茶点所にして、書院の茶座敷として使えるようになっている。・・・(以下は山雲床の説明)

利休といえば「黒」の楽茶碗や暗さ、遠州といえば「白」や明るさ。それが、「無印」の白い磁器の茶碗にふさわしいものとして、遠州の茶室を選ばせたのだろうか・・・?それにしてもマイナーではないかなあ。
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