無印良品の広告:慈照寺(銀閣寺)東求堂同仁斎

udf2005-01-20

無印良品の「茶室と無印良品」の広告のメインとなる1月15日の朝日新聞の見開き2頁の広告の写真が慈照寺銀閣寺)東求堂同仁斎と銀沙灘*1。外部の写真は銀閣寺垣*2 、向月台などがあるが絵面としてはやはり銀沙灘か?*3
肝心の同仁斎*4だが、例によって西和夫氏の解説を引用しておく。

京都東山の慈照寺(俗称銀閣寺)には、足利将軍義政が建てた建物がふたつ残っている。観音殿(銀閣)と東求堂 である。・・・東求堂は、1486年(文明18年)に観音殿より一足早く完成した。東西、南北共に3間半の小規模な建物で、南に8畳の広さの板敷きの仏間がある。須弥壇が設けられている。・・・この建物は、足利義政の持仏堂なのである。だが、全体が宗教的空間かというとそうではない。南東に4畳、北西に6畳、北東に4畳半のいずれも畳敷の部屋があり、特に4畳半の部屋には北側に付書院と違棚があって、義政の書斎としてこの部屋は使われていたと思われる。付書院は元来僧侶などの勉強机、そして違棚は文具を置く棚であった。・・・付書院や違棚をもち、畳敷で、建具は引き違いの襖障子・明障子・舞良戸というこのようなスタイルを書院造と呼んでいる。同仁斎は、その書院造のもっとも早い例のひとつとして住宅史上重要な存在である。・・・(この後、何故書院造りの同仁斎を「数寄空間」で取り上げるかが詳しく書かれている−同仁斎が茶室の最古の例とされることの検証と書院造と茶室の関係の深さについて−が長いのでまた今度)・・・

トップの図面は、この連載記事に載っている東求堂の図面(作図:小沢朝江氏)。同仁斎の位置とその中での違棚と付書院の位置が良く分かる。(寝不足で朦朧としてきたので続きはまたの機会に)