いきな建築

udf2005-06-29

篠田銘木店」と言う木場で銘木を扱う「材木商」がある。以前集めていた「篠田銘木店」が発行する企業誌「木」をぱらぱらと見ていたが、「吉田五十八の仕事」と言う連載記事の中の、「杵屋別邸」の写真が良かったのでトップの写真に取り上げて見た。コントラストの強さと、屋根の勾配と石垣の勾配で画面を切り取る、構図の面白さに魅かれるものがある。
この「杵屋別邸」が現存すると言うサイト(http://oak.zero.ad.jp/kaya-tree/note1/n0409.html)があったが、どの程度作品として残されているのかチョッと見てみたい。ちなみにこの「木」の記事を少し長いが引用しておく。

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民家にデザインモチーフをとった作品で見落とせないものに、熱海の杵屋別邸があります。邦楽家の別荘にふさわしい雰囲気を表わすと同時に、日本の民家のもつ美しさを抽出し、その美しさを再認識させる力をもつ教授の代表作品です。
大和地方の急勾配の藁葺、鋭角の白い妻の外観が際立って美しい。室内も古色に仕上げられた丸太の柱、松丸太の小屋組を玄関から応接室にかけて用いていますが、あくまでも吉田流に美しく整えられた室内構成です。
この別荘も現存はしていても、その原形の美しさは失われています。
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ウーン!「原形の美しさは失われています。」と言われてしまったが、この記事は1975年のものなので、すでに30年経っている。現存すると言うサイトの話は昨年の話なので、再生保存されたのか???不勉強でよく分からないが・・・。(2006年3月に外観のみ見学、ブルーのタウトの「日向別邸」に近いので、ついでに寄ってこれるが、チョッと場所が分かりにくい⇒http://d.hatena.ne.jp/udf/20060312
いきな建築」と言う「題」は、「INAXレポート」の内井昭蔵氏の連載記事の中で、吉田五十八氏について書かれた、「装飾の復権 PartⅢ 表現の手法⑤ いきな建築」から付けた。
吉田五十八氏の作品は余り見たことがないが、猪股邸、玉堂美術館の2つはゆっくり見る機会があった。猪股邸の玄関周りのアプローチとか茶室が良かった。玉堂美術館は柱が並んだ吹き放しの回廊的な空間が印象的。
とは言え、吉田五十八氏と言えばやはり、「新喜楽」「金田中」と言った料亭や吉田自邸、吉屋信子邸などの数奇屋建築が真骨頂、と言ったところではないかと思うが、そう言った建築はなかなか見ることが出来ない。
吉田五十八氏の数奇屋建築を「新興数奇屋」といった言い方をすることがあるようだが、なんとなくしっくりしない*1
関西の数奇屋を代表する村野藤吾氏に対し、吉田五十八氏のそれは「江戸数奇屋」といった感じではないのか。
このあたりの説明は、INAXレポートの内井昭蔵氏の文章から引用しておく。

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私は吉田先生の建築の中に限りない日本の伝統を感じるが、何故この伝統が立ち消えそうになっているのかを考えざるを得なかった。吉田先生の建築は数奇屋とか、新興数奇屋と言われるが、それは決して伝統的形態の焼き直しではない。立派な日本の近代建築だったのである。堀口捨巳先生のような伝統主義とはまた違う近代主義的発想がある。ただ、”わび”とか”さび”といった優雅な世界ではなく、”いき”といった世界にその根がある点が特徴である。遊びの果てに得られる境地、或いはあくまでかっこ良い生き方、これは江戸の町民文化であるが、人間の行き着くところこそ”いき”なのではあるまいか。
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それにしても、吉田五十八氏の作品をきちっと紹介しているサイトが無いのには、ちょっとビックリ、と言うか、寂しいかぎり・・・。(眠くて頭が回転しない!)
熱海杵屋別邸外観見学⇒http://udf.blog2.fc2.com/blog-entry-198.html

*1:三太・ケンチク・日記(http://tonton1234.ameblo.jp/entry-b1b90b275d2ffac9748ba83b40824918.html赤坂一ツ木通りにある美術工芸品店の「貴多川」は今も健在で、そのDETAILの「カッチン」としたファサードは見事。