暮らしとデザイン

udf2005-08-17

世田谷文化生活情報センターの「生活工房」が企画する連続セミナーhttp://www.setagaya-ac.or.jp/ldc/2005/ld.html 。昨年も何回か聴きにいったがなんとなく「仲間うち」といった感じに違和感を覚えたが、それは取りあえず無視して今年も聴きにいくことにした(勿論紺人的な趣味としては、当たり外れはある)。と言っても気が付いた時はすでに1回目は終了していたので、残り4回分を申し込。
■開催時間:各回19:00〜21:00 (受付18:30開始)
■会  場:三軒茶屋キャロットタワー5Fセミナールーム
参 加 費:各回2,000円(通年5回参加費は9,000円)
■定  員:100名 (定員になり次第締切)⇒今日現在のところ、まだ空いていた。
テーマと講師は以下のとおり(紹介文はチラシの内容を引用)。

■ 第1回 7月22日(金)「地域 −私が暮らす場所≒みんなで暮らすまち 」(終了)
■ 第2回 9月28日(水)「ー家族ときずなを守るもの」
平倉直子(建築家)×井上搖子(建築家) モデレーター:植田実(住まいの図書館出版局・編集長)
家は家族を守り、そのきずなを育むもの。活躍中の女性建築家に自分の育った家の話や、建築家として家族のために作りたい「家」や「家具」の話を伺います。
■ 第3回 11月30日(水)「公園ー日本の公園 これまでとこれから」
木下直之東京大学大学院教授・文化資源学)×長谷川浩己(ランドスケープアーキテクト)
都市生活になぜ公園は必要なのでしょうか?公園という概念と歴史をもう一度ひもとき、これからの公園の在り方を探ります。
■ 第4回 1月20日(金)「文化施設ーアートを生みだす力を持つまちへ」
曽我部昌史みかんぐみ・建築家)×池田修(bankART1929・ディレクター)
大都市東京の影で存在が薄くなりがちな世田谷独自の芸術や文化。地域密着型文化コミュニケーションの可能性を探ります。
■ 第5回 3月8日(水)「病院・福祉施設ー希望を持って巣立つために」
大原一興(横浜国立大学大学院教授)×藤本壮介(建築家)
人々は病院や福祉施設で病気を治し、学び、そして希望を持って巣立ちます。そんな人間の生きる力を後押しする建築・デザインの可能性を探ります。

第2回は「家族ときずなを守るもの」と言うことで「家」の話をするらしいが、「家族のきずな」に対する考え方はいろいろあって、それが建築にかなり反映することはいうまでも無い。「家族のきずな」なんて無いと言った感じの考え方も、多くの建築家が持っているようだし、建築ジャーナリズムはそんな「絵になりやすい」住宅をこぞって取り上げる風潮があるが、実際のところはどうなのだろう?「きずな」は確実に有る、ただその形がいろいろなのだろう。どちらにしても、いろいろな考え方が同じような機会で公にされることはいいことだと思う。選択肢は多ければ多いほど良い、後は選ぶものの資質による。
第3回は公園。「公園」にも思うところは沢山有る。奇しくも「モエレ沼公園」と言う大規模な公園が話題になっているが(その筋では)、街の小さな「児童公園」から大規模な都市公園までいろいろある。一時期「ポケットパーク」と言う小規模公園が話題になったことがあるが、「ポケットパーク」は明らかに大人のための公園?キャットストリートにある遊具の置いてあるスペースは公園?
子供の頃の遊び場は、「神社」、「空き地*1」それに「道路」が遊び場だったわけで、「児童公園」などと言う中途半端なものは無かったような気がする。「大人のための公園」VS「子供のための公園」なんて言う話も面白そうだが。
第4回はアート。「街の中のアート」とは何か?「パブリックアート」と言う議論とチョット違った角度になるのではないかと思うが、そうならないと面白くならないし。「パブリックアート」ほど身近にあって、その選択について「遠い存在」のものも珍しい。
最終回の「病院・福祉施設」の話はかなり重い。ここでは「希望を持って・・・」となっているが、チョット違うんじゃあないか、と思わざるを得ない今日この頃。両方必要だと言うことは間違いないが、何かと言うと「希望を持って巣立つ」ための病院等と「全てが終わっていく」病院等との二つ。しばらく前に代官山の講演会で、古谷誠章氏のホスピス病院の空間(http://www.deconit.com/design/tsushin/news45/45-02.html)をスライドで見る機会があったり、入所者にとって生活の場であり、終の棲家となる「特別養護老人ホーム」を見て歩いてみると、いろいろ考えさせられる。

*1:古い話だが、駒沢公園東京オリンピック前は、駒沢野球場東映フライヤーズ)やラグビーサッカー場を除けば広大な「空き地」だった。そこには崖も湿地もあり最高の遊び場だった