暮らしの息吹 家とともに

udf2005-05-12

東京メトロ」の駅で配布されているフリーマガジン。もともと女性がターゲットらしいが面白い記事が時々ある。http://www.metropolitana.jp/cn/ 
5月号が「住宅特集」で、表紙に「暮らしの息吹 家とともに」、裏表紙に「心穏やかに 過ごすひととき」と言うキャッチコピーが入っている。「住宅特集」と言っても、特集されているのは、棲み込まれた(「ていた」と言う過去形なのか)古い住宅二軒。
「東西南北、風が吹き抜ける家」:林芙美子記念館http://www.regasu-shinjuku.or.jp/46humiko)と、「家と一緒に呼吸をして、季節のうつろいを感じる」:白洲正子武相荘(ぶあいそう)(http://www.buaiso.com/buaiso/michi/michi.html)。
林芙美子の「家をつくるにあたって」(余り正確な引用になっていない可能性がある)で以下のように語っている*1

私の生涯で家を建てるなぞとは考えてもみなかったのだけれども、(中略)幸ひ300坪の地所を求めることができた。私はまず家を建てるについての参考書を200冊近く求めておよその見当をつけるようになり、材木や瓦や大工についての知識を得た。まづ、私は自分の家の設計図をつくり、建築家の山口文象氏に敷地のエレヴェションを見てもらって、一年あまり、設計図に就いては、ねるだけねって貰った。
東西南北風の吹き抜ける家というのが私の家に対する最も重要な信念であった。客間には金をかけないことと、茶の間と風呂と厠と台所には十二分に金をかけることというのが私の考えであった。生涯を住む家となれば、何よりも愛らしい、美しい家を造りたいと思った。

「山口文象」の名前が出てきたのには驚いたが、家造りへのこだわりが伝わってくる文章だと思う。この内容は一般的な家造りにも十分に有効だと思う。記念館のHPには図面があり(小さくてチョット分かりにくいが)その広さに驚かされる。
山手通り(環状6号線)と目白通りが交差する少し新宿よりに位置している。
林芙美子は一時期三軒茶屋に住んでいたらしい。「実りのとき」と言うサイトに、「三軒茶屋太子堂の界隈には、平林たい子壷井栄佐多稲子林芙美子などが住み着きました。」 一文があった。

武相荘は古い農家を住まいとしていたもののようだが、自然の中で暮らしたいと言う、白洲正子の思いが生かされた「棲まい」のようだ。『白洲正子”ほんもの”の生活』からの引用がある。

田舎に住めば不便なこともあるし、蛇や百足だって出てきます。でもここにいればそれは当たり前のこと、私にとって大切なのは、半分自然の中にいるような状態なの。古い農家を改造した葦葺きの家なら、家そのものが自然と一緒に呼吸しているようなものでしょう

場所は町田市なので比較的敷地には余裕があるのかもしれないが、写真で見る限り自然の中の生活というのにふさわしい雰囲気のようだ。

白洲正子“ほんもの”の生活 (とんぼの本)

白洲正子“ほんもの”の生活 (とんぼの本)

*1:いろいろなサイトで引用の内容が少しずつ変わっているので、原文に当たらないとなんともいえないが、今手元にその原文はない

CDR74Z BSSx50

■依頼の有ったimationのCDR74Z BSSx50を新宿で購入。極めてシンプルなデザインのCD-Rで、udfLAN管理者の愛用品。ついでに700MBのCDR80Z BSRx50と、DVD-R 4.7SpinX25をあわせて購入。
BWUエスキスモデル作成最終日で、フィニッシュモデルのデザイン資料として仕上げ材について基本的な素材について説明。同時にそれらの素材の模型表現としてのテクニックをサンプルで説明。
■寝不足気味でかなり行動力低下。学校から帰宅後パソコンの前でうたた寝
auショールームで5月分のファイルをもらってきた。今月は目覚まし時計のファイル、おまけは矢印型のポストイットでした。
【m-project】クライアントに、テーブルの足に巻く皮ひもの素材と袱紗のサンプル(夏用と秋冬用)を送付。
■昨日書いた、槇氏と谷口氏の「対談」に加筆
■槇氏と谷口氏の「対談」に“MoMAのアーバニズム”を加筆:2005.05.13。
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