ロボコップは幸せか?

udf2004-08-18

今日の朝日新聞の朝刊に、「昭和の名建築現代風に」と言う写真入の(パース)記事が載っている。「交詢社」の新社屋の記事であるが、またまた「高級ブランド」をテナントとしたガラスの外装のビルに変わっている。
あの重厚で落ち着いた雰囲気を持った建物とは対極にあるような、まさしく「現代」風に出来上がっている。
交詢社紹介HPの例:http://www.kslab.co.jp/GinzaNews/kohjunsha/kohjunbld.html)
写真のようにエントランス部分が保存され、さながらマスク(仮面)のように貼り付けられているすがたは、痛々しい。顔だけを貼り付けられた、あのロボット警官のように、ある意味哀しい姿をさらしている。
建築学会からも保存再生の要望が出ていた建築だが、ものの見事に資本の論理になぎ倒された感がある。
建築を文化として考えることができる人々が、「権力」の座にいないのは、日本の「民度」の低さを現しているのだろうか。もっとも、ヒットラームッソリーニのように、建築を政治の手段に使われてしまうのも恐ろしいが。
ロボコップは時々幸せだった過去を、回路のショートか何かで思い出すことがある。
このビルに貼り付けられた「マスク」は、それを眺めて幸せだった(かどうか分からないが)過去を思い出せと言うことなのだろうか。あるいは、交詢社の性格からして多少なりとも、「文化」からの批判を逃れようとする、単なる手段に過ぎないのだろうか。
必ずしもニューヨークが良いというわけではないが、やはり街の魅力とは時間の積み重ねが空間を包んでいることなのではないだろうか。
テラコッタ、鋳鉄、スクラッチタイル、ガラス、鉄鋼さまざまな素材やデザインが積み重なることで、街に深みのある魅力が生まれると言うものではないか。
再三言われるように、壊してしまったら二度と造る事のできない様式建築を(技術的にも経済的にも)、いとも簡単にどこにもあるようなガラスの箱に変えてしまうようなことで良いのだろうか。と、いつも建て替えられた質の低い建築を見るたびにそう思う。
とりわけそれを強く感じるのは「同潤会」の後に建つ集合住宅の類。表参道の「同潤会」は、安藤忠雄氏の力量に期待するしかないが・・・。
今回の交詢社ビルの「哀しい」建て替えの仕掛け人は、またもM不動産らしい。表参道の「同潤会」や六本木周辺を食い尽くしているMビル、それにコンドルの建物を解体していつの間にか捨ててしまったと言われているM地所、なぜかみんなMが付く。
好きになれない3M。

9月28日に新しい「交詢ビル」を見学。9,10階に旧交詢社ビルの一部が保存されている。見学報告は、9月28日付ダイアリー参照。http://d.hatena.ne.jp/udf/20040928