mannequin

udf2004-12-13

マネキンがartなのかどうか分からないが、ある意味で時代を良くとらえているように思える。トップの写真は、「ユナイテッドアローズ」のオリジナルマネキンで、写真はカットしたが、指先の作り方など凄い!
以前書いた「イビデン」の企業誌(http://d.hatena.ne.jp/udf/20041010)が久し振りに送られてきて、それが「マネキン」特集でカナリ面白い。その初めの紹介部分を引用しておく。

時代をとらえ、時代の先を提案する
マネキンの感受性

多様化するライフスタイル、移りゆくファッションの波と運命をともにしながら
モードを更新し続けるマネキンたち。
そこに込められたメッセージは、時代そのものなのです。

たしかにその表情、姿形は時代そのもののように思える。
驚いたことに(その筋では常識かもしれないが)マネキンには作家名があるようだ。最初の頁をひらくとその辺りが詳しく載っている。日本のマネキンの歴史は、日本初のマネキン会社「島津マネキン」によって始まるらしいが、その辺りの説明が面白いので少し長いが引用しておく。

島津マネキンの源流は、先頃ノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんが在籍していることで知られる島津製作所。同社の標本部では明治時代から人体解剖模型を制作しており、当時フランスのパリから輸入された蝋製マネキンの修復作業に携わっていた。島津良蔵はここで、マネキン人形の創作を始め、以来マネキン産業の発展に尽くした。

ちなみに、この島津良蔵という人は東京美術学校(現芸大)の彫刻科の出身とのこと。それが、日本のマネキンの持つ芸術性と商業性の微妙なバランスを生むこととなったと言うことらしい。
本当かなあと思う「マネキン」のネーミングの話も載っている。

マネキンが誕生したのは19世紀半ば、パリでのことだ。日本に初めて輸入されたのは、大正時代。当初はフランス語読みでマヌカンと呼ばれていたが、日本語で「招かん」ともとれることから、プロモーション用人形のネーミングとしてはふさわしくないと、マネキン(招金)と呼ぶようになったと言われている。

本当のような冗談か、嘘のような真実か?まあ、こう書いてあるのだから事実なのだと思うが、なんとなく日本の「商人」のユーモアが垣間見られるようで楽しいエピソードだ。
もう一つ、マネキンの話としてなんとなく一つ物知りになったような気分になる説明を引用しておく。

わが国のマネキン業界はヨーロッパに端を発する島津マネキンの洋装マネキンと、「京人形」「生き人形」と言う日本独自の人形文化に源流をみる関東の「永徳斎」、西日本の「京屋人形店」に代表される和装マネキンの2つの流れがある。前者は彫刻家や画家、後者は人形師や甲冑師が関わっているが、いずれも製法は「生き人形」「京人形」「人体模型制作技術」の応用であることに日本の独自性がある。

「なるほど、そうなのか。納得!」と言った感じの説明でなかなか楽しい。
現在のマネキンメーカーの紹介も見開き2頁で組まれている。なかなか「art」だ。
■七彩http://www.nanasai.co.jp/indexmain.html 
12月15.16日にスパイラル・ホールで新作展示会。一般人が入場できるかどうかは不明。
■吉忠マネキンhttp://www.hrp.jp/members/yoshichu/company.htm(マネキンの画像はほとんど無いが)
■トーマネhttp://www.tomane.co.jp/
■ヤマトマネキンhttp://www.yamato-creation.com/(マネキンの画像がたくさん有って面白い)
マネキンをキャラクターとして使ったTV番組(オー!マイキー)もあるくらいだから、今やマネキンの力は侮れない。
今年の夏だったか、田園都市線二子玉川の改札の向かいにあるショップのショーケースに、「チャッピー」http://www.sonymusic.co.jp/Music/BrandNew/9903/Chappie/ とおぼしき白いマネキンの集団が並んでいる姿はなかなかインパクトがあった。
チャッピーのことは息子が良く話していたので知ったのだが、表参道の同潤会住宅に「ロケット」が入っている時、チャッピーの展覧会があったらしいが・・・。パルコの展覧会の時はいろいろグッズをアメリカに送ったりしたので、なんとなく親しみを持つようになった。
まさに、時代をとらえる「マネキンの感受性!」