小堀遠州-4-1 "綺麗さび"という美−茶碗

udf2004-12-14

「織理屈、綺麗キツハハ遠江、於姫宗和ニムサシ宗旦」当時の宗匠の茶の特徴を詠んだ狂歌で、「遠州の茶風を、切れ味の鋭さと綺麗さで捉えている」。
もともと、遠州のデザインは近代デザインに通じる、シンプルさとシャープさが特徴なのではないかと思う。
トップの写真は、伊賀のタイル工場検査に行った帰りに寄った、伊賀焼きの資料館で購入したものだが、資料館で見たところでは、明らかに「織部」の影響が強く、わずかにこの購入したものが遠州らしい雰囲気を漂わせていた。
東京に戻って、遠州流の茶道の先生にみていただいたところでは、遠州好み的雰囲気は持っているとのことだったので一安心。
横にあるお仕覆はbauman(http://www.creationbaumann.ch/)の椅子張り地を使って作ったもの。裏袋・つがり・緒は神田司町にある稲垣商店で購入。仕覆の作成は淡交社の「茶の袋物」を参考にした。

茶の袋物―手作りを楽しむ

茶の袋物―手作りを楽しむ


芸術新潮では、利休、織部遠州のそれぞれが好んだ茶碗について書いているが、利休が好んだ長次郎の黒楽、織部の好む「沓茶碗」、そして遠州の好んだ端正な「白い」茶碗、ここでは「鳥の子手茶碗/銘・白浪」。実に見事に「好み」が分かれる。
遠州流の茶道で楽茶碗を使っているのを余り見たことが無いが、茶碗で一番魅力を感じるのは光悦の作る楽茶碗。特に「不二山」http://shinshu-online.ne.jp/museum/sanritsu/sanritu2.htm は本物を見たことが無いが、写真で見ただけでもその魅力を感じる(2005年6月、「不二山」が展示されていると言うことで、諏訪まで車で出かけた、流石に感動したが、遠かったhttp://d.hatena.ne.jp/udf/20050623)。
国宝の茶碗は8つあるそうだが、そのうち5つは天目茶碗で一つが高麗から来た井戸茶碗、残りが国産で、その一つが光悦の「不二山」と言うことになる。長次郎の楽茶碗に国宝は無い。残る一つは志野焼き、どうも志野焼きは余り好きになれない。
遠州は焼物にも大きな影響を与えているが、特に「遠州七窯」と言われる拠点がある。http://tankosha.topica.ne.jp/books/nagomi/n98-11/
その中の一つ「志戸呂」には2回ほど茶器を作りに行ったが、たぶん鉄釉だと思うが茶色っぽい焼き上がりで、一度還元炎にあったらしき茶碗は黒く焼きあがり、チョッと黒楽のようになって気に入っている。

建築はかなりいろいろな知識が必要で、以前郵政省に入って間もない頃、係長についてタイルの工場検査に行ったが、その時美濃の陶工の家に招かれて、話を聞いたことがある。勿論若僧はかしこまって小さくなっていたわけだが、係長はその相手をしなければならない。庭に窯のある立派な家で、加藤某と言ったが、かの地の陶工は「加藤」姓が多い。そんな時、焼物に対する知識が無いとやはりまずいことになる・・・。
建築には、タイルという使用頻度の多い材料がある。今はどちらかと言うと、工業素材的に均一に焼きあがるタイルが好まれる傾向があるが、以前は「窯変タイル」が好まれ、窯の中で置かれる位置によって、酸化炎か還元炎どちらかの火で焼かれる。それによって釉の発色が変わるため、どれ一つとして同じタイルは焼けてこない。見本焼きで決めた色と当然違ってくる。季節によっても焼き上がりが違うので、結局実際に使うタイルのやけ具合を確認して、この程度のものまで使うと言う判断をしに工場検査に行った。
「やきもの」に関する知識は、建築の設計者にとって重要なものだった。その頃読んだ、NHKブックスの「やきもの」(吉田光邦著)は比較的分かりやすく手軽な本で良かったのだが、今は絶版のようだ。

遠州にまつわる話としては、残るのは「書」と「名物裂・めいぶつぎれ」がある。そして「綺麗さび」とは何かと言う重要な命題。むかし、出江寛氏の講演で「綺麗より美しい」と言うのがあったが、この「綺麗」は遠州と関連があったのかは不明。