TOTO通信:特集 建て売り住宅

udf2005-01-09

TOTO通信2005年新春号の特集が「建て売り住宅」。目次は以下のとおり。

特集1 論文 建て売り住宅マーケットを読む 文/市川佳之
特集2 座談会 建て売り住宅のプロトタイプを探して 北山恒+篠原聡子+木下庸子
特集3 ドキュメント 鎮守の森を共有する「彩の台」の冒険 設計/長坂大
特集4 建て売りの原点へ 京の町家 学生設計コンペティション

勿論、連載も健在で、浦一也氏の「旅のバスルーム」、藤森照信氏の「原・現代住宅(今回は、伊東豊雄氏の「アルミの家」)」も面白そうだ。
特集記事についてのコメントは、まだ読んでいないのでなんとも言えないが、「特集1」の「市場」についてざっと目を通したところでは、相変わらず現在の「戸建住宅ブーム」には危惧の念を持たざるを得ない。
日本の国民の不幸なことは、住環境が常に「市場」にゆだねられていることにある。
昨日は、都市の中枢を「お金儲け」の舞台にする、大手ディベロッパーや「一匹狼」的ディベロッパーとそれに絡む「有名建築家」について嘆いてみたが、今日は住環境の根幹となる住宅のある意味「まずいんじゃないの」状態を目にすることになった。
これは以前にも書いたが「パワービルダー」と呼ばれる、低価格住宅供給業者の敷地細分化スタイルの危険性やミニ開発の問題を再度考えさせるものでもある。
世田谷周辺でも、1軒の住宅が相続税対策(多分)で売りに出されると、まず3〜4軒の小さな住宅が建つ。
「当然」庭など造れる敷地の広さはないから、建蔽率からせいぜいコンクリート舗装の駐車スペースが空地として取られるに過ぎない。
緑豊かで道を歩くことが楽しかった世田谷の住宅街も徐々に緑が失われ、形だけやに頑張ってみたような住宅がびっしりと隙間なく(あるいは、「隙間」だけ残して)並んでいくような町並みになりつつある。
これも以前書いたが、郊外の民間確認会社での風景。若い20歳代の女性が連棟スタイルの住宅の確認申請を持ち込んで、「ハイ!4軒ね。」と言った感じで受け付けていたが・・・。勿論(?)連棟式は確認手数料も割引になっている・・・!「こんなことで日本の住宅はいいの!」と嘆いてみても仕方がないが。
「デザイナーズマンション」も「デザイナーズ住宅」も良いけれど、なんかおかしいんじゃないのかなあと・・・。
この特集の座談会の中で、北山恒氏が苦しい言い訳をしているが、「良いディベロッパー」などという「建築家」の都合の良い解釈が・・・。
勿論ディベロッパーが全て悪いわけではないだろうが、基本的に「儲からないことはしない」訳だし、心から人のために良い環境を提供しようなどと思っているディベロッパーは少ないのではないだろうか。「資本が人を選ぶ」と言う資本主義の原則は「正しく」適用されるのだろうし。

構成形式としての建築―「コモンシティ星田」を巡って (INAX album (20))

構成形式としての建築―「コモンシティ星田」を巡って (INAX album (20))

ディベロッパー(大阪府ディベロッパーと言うかは分からないが:「公」だから出来たと言うことはあるかもしれない。コンペでもあるし。)のやった仕事で良いと思ったものに坂本一成氏の『コモンシティー星田』http://www46.tok2.com/home/arc/osaka/osaka_63.htm が有るがやはりある程度の規模は必要だし、その設計にかけるエネルギーは生半可なものではないようだ。傾斜地と言うことも手伝って、とてもよく出来た空間になっている。明らかに写真より実物が良い。
まあ、何とも言えないところだが、「ミニ開発」が避けられないのであれば、能力の有る建築家がその能力を十分発揮して、少しでも良い環境に近づけるものを作り出していくことが、最良の選択なのかもしれない。
建築をめざして (SD選書21) (SD選書 21)

建築をめざして (SD選書21) (SD選書 21)

ル・コルビュジェの代表的著作『建築をめざして』の最終章は良く知られているように「建築か革命か」、この「革命」が政治的革命でないことはかなりはっきりしているのだろうが(1920年代前半と言えば、まだロシア・ドイツの革命の空気が残っている時期だとは思うが)・・・。今日はやけに「・・・」が多い。