種を粉に挽いてはならない

udf2005-08-14

ケーテ・コルヴィッツが「日本におけるドイツ年2005/2006」の企画展として、「つくば美術館」で行われているhttp://www.tsukuba.museum.ibk.ed.jp/kathe%20kollwitz.html。東京にも町田の「国際版画美術館」に巡回してくると、NHKの「日曜美術館」で告知していたが、今のところまだ「国際版画美術館」の企画展予定表には出ていない。と言うことは2006年4月以降と言う事になる。
「つくば美術館」での開催予定は以下のとおり。
会期:2005年7月16日(土)-8月21日(日)
 開館時間 午前9:30〜午後5:00(入場は午後4:30まで)月曜休館
「ケーテコルヴィッツ」は第一次世界大戦で息子を失い、第二次世界大戦で孫を失っている。戦争がもたらすものは「悲惨」以外のなにものも無い。

幼い子供は戦争に反対することさえ出来ないままに、その犠牲になっていく。戦争に反対するものは「国に逆らう犯罪者」として葬り去られ、戦場に向かった国民は、同じような状況の「敵国民」を殺すか、自分が死ぬことになる。第二次世界大戦で戦場にならなかった「アメリカ」を除いて、非戦闘員も百万単位で死んでいくことになった。
ケーテコルヴィッツが息子を失った第1次世界大戦の後「ドイツ革命」を経て、もっとも民主主義的な憲法を持ったといわれる「ワイマール共和国」が生まれ、その中からあの「バウハウス」が産声を上げた。
民主主義的な共和国のなかですくすく育つはずの「バウハウス」を、1933年4月ゲシュタポが占拠する。ミースファンデルローエらの努力も虚しく、1933年7月「バウハウスは」ナチスの手によって閉鎖された。勿論、デッサウを追われベルリンに「私的な」学校として再建された後もずっと「ナチス」からの迫害にあっている訳だが。
「哲学ノートhttp://learning.xrea.jp/%A5%C7%A5%E2%A5%AF%A5%E9%A5%B7%A1%BC.html」と言うサイトに、ウイットに富んだ引用があったので、ここでそれを引用させてもらっておく。

ナチス共産主義者を攻撃したとき、自分はすこし不安であったが、とにかく自分は共産主義者でなかった。だからなにも行動しなかった。
次にナチス社会主義者を攻撃した。自分はさらに不安を感じたが、社会主義者でなかったから何も行動しなかった。
それからナチスは学校、新聞、ユダヤ人等をどんどん攻撃し、自分はそのたびにいつも不安をましたが、それでもなお行動にでることはなかった。
それからナチスは教会を攻撃した。自分は牧師であった。だからたって行動にでたが、そのときはすでにおそかった。」
 ―マルチン・ニーメラー

明日、8月15日は日本人だけでも数百万といわれる(世界では恐らく数千万だろうと思うが、いろいろな数字が出ていてどれが正しいのか分からない)犠牲者が出た第二次世界大戦が終わった日でもある。ここで改めて、同じ歴史が繰り返されることのないように、建築やアートを通じて過去を振り返ることも悪くは無いだろう。
平和で自由な中で、建築やアートを楽しみたいと思う
トップの写真は、ケーテコルヴィッツの「種を粉に挽いてはならない(部分)」。
ケーテコルヴィッツの絵は昔から暗い絵だと思っていたが、この子供の顔だけは思わず微笑んでしまう。緊迫した状況の中でもきっと子供はこんな表情をしている時があるのだろう。
全体の画像は⇒http://udf.blog2.fc2.com/blog-entry-3.html