茶の湯の現代:spaceTRY

udf2004-08-13

spaceTRYは白金の「プラチナ通り」にある、こじんまりとしたギャラリー。以前、坂茂氏と山本容子氏の紙の茶室展があったときに訪れて以来、時々(と言うほどでもないが)見に行くことがある。
近くには「エリカ」などいろいろ楽しいお店もあるので、散歩がてらぶらっと寄って見るのも良い場所。スタルクの建築もある。
DMにある、今回の展覧会についての説明を引用しておく。

今日、茶の湯はひそかなブームとなっています。
それは現代生活が儀礼を消失させ、精神空間を薄めているのに対し、何らかの回復を求める姿が茶の湯のブームをつくっているのかも知れません。しかし現代の茶の湯は、珠光、紹鴎、利休、そして織部遠州の時代からすっかり止まっているようにも見えます。そこには形式だけが残っているといったものです。かつて、岡倉天心茶の本「TheBookofTea」のなかで、「茶の湯は日常生活の中にある美しきものを崇拝することに基づく一種の儀式である」と述べています。その点を考えたならば、その日常生活すらが破壊されているとも言えます。
茶の湯の現代「TRANSPARENT」は、今日生活における茶の湯を考えてみたいと企画しました。

「新作立礼による茶席」が展示されるようだ。釜:内田繁、水差:伊藤孚、茶器:金子透、茶碗:小川待子、蓋置:伊藤孚、柄杓:金子透、建水:金子透
となっているが、柄杓は茶杓の間違いではないだろうか。
「すっかり止まっているようにも見えます。」とあるが、例えば遠州流にしても宗偏流にしても、新しい家元は時代の雰囲気を察しながら、いろいろ新しい試みはしているようだ。「道」と付く伝統的な分野では、過去を正確に継承することも大事なことなのだろう。そこから新しいものが生まれることを期待すること自体が誤り、とは言えないかどうか?伝統的なものの中の新しさとは何かを、きちっと考えないと、どのように前へ進めば良いのかも、闇の中か。それは建築にも言えるような気もする。あれこれ言う前「創り出す」のが先と言うこともあるし・・・。
会期は9月7日〜9月25日(日月休廊)。
HPはhttp://www.spaceTRY.com
写真はこの展覧会のDMだが、誰の作品か不明、展覧会との関係も不明。まあ、行ってみれば分かる、と言ったところか。
透明のビニールシートに貼り付けられたアルミのような筒状のフラワーベースとメタルの照明器具。妹島和世氏のようなデザインだが?