小堀遠州-2 庭

udf2004-11-30

■第二章:「日本の庭」は遠州が変えた!
これが今日のテーマと言うわけだが、遠州以前の日本の庭がどうなっているのかは、稲次敏郎氏の「庭園倶楽部」が分かりやすいのではないか。

庭園倶楽部―日本庭園の「ありやう」を求めて

庭園倶楽部―日本庭園の「ありやう」を求めて


少し長くなるが、目次の一部を引用しておく。

■序
一、「うち」と「そと」−建屋と庭の関係 
二、「祖形」からの「すまい」へ
■第一章 「寝殿造り」と調度−日本住居の原形として(一室空間と「室礼」他)
■第二章 『作庭記』と王朝の庭−日本庭園の原点として
■第三章 彼岸の造形−「もののあはれ」と浄土庭園
■第四章 中世住居と禅院の庭−「ありやう」の抽象表現
■第五章 「書院造り」と庭−「ありやう」の濃縮表現
■第六章 中世「書院座敷」の美意識−侘びへの導入として
■第七章 千利休の世界−求道の茶の湯
■第八章 「数奇屋」とその庭−求道からの解放(この辺りに、遠州に関わる話が載っている)
■第九章 回遊式庭園−遊びの庭
■第十章 社寺の境内と日本の公園−新しい「ありやう」を求めて

日本の庭園の歴史を、建築の面から解き明かしていく手法は、建築に携わるものにとっては、非常に興味深く読むことが出来る。
もともとは、ワタリウムでの連続講座「庭園倶楽部」のテキストなわけで、できればこの連続講演を聞きながら読むのが一番分かりやすい。
だが、稲次敏郎氏も御高齢で、講師としては後継者が行っているようだ。以前は、稲次氏手書きのレジュメと自ら撮り溜めたスライドをモトに、ワタリウムの展示室で講義をしていたものだが。
「新建築」でむかし「数寄空間への招待」と言う、昔の茶室とそれに関連する現代建築を、毎月取り上げていた連載があったが、その挿入図を描いていた、多分その頃学生だったと思われるような人が講師の一人になっている。時の流れは早い!
これに加えて、野田正彰氏の「庭園に死す」を併せて読めば、結構楽しく古今東西のざっくりとした庭園知識は身に着くのではないだろうか。
野田正彰氏は精神病理学者でも有るので、稲次氏とは少し切り口が違うような気もするが、庭園に関する知識は半端ではないようだ。1996年にNHKの人間大学で「庭園との対話」と言う番組を持っていたが、なかなか面白かった。NHKのライブラリーで見ることが出来るのだろうか?
庭園に死す
遠州から離れてしまったが、遠州作とされる庭園はたくさんあるようだが、間違いなく遠州でその特徴が良く出ているものは、岡山にある「頼久寺」がある。
http://www1.ocn.ne.jp/~tentyu/
この庭は、見事な刈り込みが特徴で、日本庭園というと、「自然」の樹木を生かした庭園と言うイメージがあるが、そう言うものとはまったく違った、雰囲気を持っているらしい。
トップの写真は南禅寺金地院の鶴亀の庭だが、切石が多く用いられていて、遠州の特徴が良く出ていると言われている。
遠州の場合その茶道具にも見られるように、現代のデザインに通じるシンプルさがある。庭園の造り方にも、抽象化されたシンプルさががかなり明瞭に出ているようだ。
芸術新潮」の中では、二条城の二の丸庭園の石組み、頼久寺の刈り込み、桂離宮御輿寄前庭の延段などが紹介されている。無窓国師vs遠州 庭園くらべとして、西芳寺庭園http://hukumusume.com/366/world/isan/gazou/320x240/en2/f_005.jpgと仙洞御所庭園
(写真 http://www.mediawars.ne.jp/~tanimura/urbanizum/form/garden/sendou.html
(動画 http://sankan.kunaicho.go.jp/media/meta/04-300k.ram)が取り上げられているが、写真を並べるとその違いが際立っている。