小堀遠州-1 弧篷庵

udf2004-11-29

お茶の稽古にも行く時間が無い、ただただ忙しい日々が続いているがたまには一服したいもの。
建築を生業としている人はすでに承知のことではあるが、遠州について少しまとめておこう。とは言え、遠州流の家元のHPを見れば、かなりスッキリと整理された遠州の説明が有るので、それを見てもらうのが一番よいかもしれないが。http://www.enshuryu.com/enshu.htm
とは言っても、茶道のHPなので自分なりに少しまとめておく。到底短時間ではまともなものは書けないので、ダイジェスト版を、昔の「芸術新潮」の小堀遠州特集を参考にしてまとめておく。
天正七年(1579)に生まれ正保四年(1647)に没。10歳の時に千利休にお茶の手ほどきを受けているらしい。いろいろなことに長けたルネッサンス的人物とされている。
幕府の作事奉行を務めるかたわら、将軍の茶道指南であった。芸術新潮の目次に沿って組み立てておくことにする。勿論、内容は「芸術新潮」の内容とはまったく関係ない。
■第一章「弧篷庵」:遠州菩提寺である、大徳寺弧篷庵は一般公開されていないので、中を見学するのはかなり難しい。2年間遠州流の茶道の稽古に通い、先生から家元(小堀家十二代(当時)、昔なら大名であるわけ)にお願いしていただき、6、7年前、見学させていただいた。
住職の奥様が、雨戸・障子を開けてくださって、まずお抹茶を「札の間」でいただき、その後、「方丈」の南側の縁側を通り「忘筌」へ。
「忘筌」は遠州を代表する茶室。12畳有るので、書院形式の広間の茶室と言うことになるのだろうか。「忘筌」の西側にかの有名な「舟入の縁」がある。目線の上部を明かり障子でさえぎる手法は、繰り返し繰り返しコピーされ続けてきた。
しばし、「忘筌」の空間を味わった後、「直入軒」、「山雲床」と案内していただいた。
貴重な経験だったが、あっという間の出来事。勿論写真は撮れなかったが、以下のHPにポイントが案内されているが、このHPはすごい!どうして写真が撮れるのか。
http://web.kyoto-inet.or.jp/org/orion/jap/hstj/kita/kohouan.html
孤篷庵表門入り口の石橋と運が良ければアプローチまで見ることが出来るかもしれない。遠州デザインの石橋は道に面しているので、いつでも見ることが出来る。
第五章まであるが今日は時間が無いので、第一章で終わり。
章立ては以下の通り。
■第一章:弧篷庵−菩提寺に結実した遠州の美学
■第二章:「日本の庭」は遠州が変えた!
■第三章:”泰平の世”の茶の湯を開く
■第四章”綺麗さび”という美
■第五章:今に伝える遠州の教え
その後に、栗田勇氏の文章で■「江戸ルネッサンスの天才 小堀遠州」と言うものが有り、これがまたⅠ〜Ⅴで構成されている。時間が有るときに、少しずつまとめていくことにする。この「芸術新潮」は1996年2月号。他にワタリウムで毎年(?)開催されている「庭園倶楽部」のテキストとなっている、稲次敏郎氏の「庭園倶楽部」や大田浩司氏の「テクノクラート 小堀遠州」、そして、石井和紘氏の若かりし頃の傑作論文、「潜在的構造がひらく媒体の領域 複合体(コンプレックス)としての大徳寺弧篷庵」などを参考にしている。トップの写真は、石井和紘氏の論文より(「建築文化」掲載)